僕が自分の額の変化に初めて気づいたのは、二十七歳の夏だった。大学時代の友人たちと海へ行き、その時に撮った集合写真を見た時だ。潮風でかき上げられた僕の前髪の奥、その両サイドが、記憶の中にある自分の額よりも明らかに深く切れ込んでいるように見えた。心臓がどきりと音を立てたのを、今でも鮮明に覚えている。「気のせいだ」「写真の写りが悪いだけだ」。そう自分に何度も言い聞かせた。しかし、その日から僕は、鏡を見るたびに無意識に前髪をかき上げて、生え際のラインをチェックするようになってしまった。風呂上がりに濡れた髪でオールバックにすると、そのM字の輪郭は、残酷なほどはっきりと姿を現した。現実から目を背けることは、もうできなかった。それからの日々は、さながらM字はげとの静かな闘いだった。まず、髪型を変えた。これまで下ろしていた前髪を、少しでもM字部分を隠せるように、重めに、そして不自然にならないように流すスタイルを研究した。毎朝のセットにかかる時間は倍になった。何より辛かったのは、風が強い日だ。突風が吹くたびに、僕はパニックに近い状態で前髪を手で押さえた。セットが崩れ、額が露わになってしまうのではないかという恐怖は、常に僕の心を支配していた。電車を待つホームの端には立てない。ビルの谷間を歩く時は、いつも下を向いていた。友人との会話中も、相手の視線が自分の額に注がれているのではないかと疑心暗鬼になり、心から笑えなくなっていた。自信が、まるで抜け毛と一緒にするすると抜け落ちていくようだった。インターネットで「M字はげ 隠す」「若年性 AGA」といった言葉を検索しては、同じ悩みを抱える人々の書き込みに共感し、絶望的な広告に一喜一憂する毎日。このままじゃダメだ。隠すことに神経をすり減らし、自信を失っていく人生なんて嫌だ。そう思った時、僕は初めて、この悩みと本気で向き合う覚悟を決めた。それは、単に髪の毛の問題ではなく、自分自身の生き方を取り戻すための、静かな宣戦布告だった。
風が吹くのが怖かった僕のM字はげ体験記